城下町蒟蒻物語

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味のある名脇役

朝いちばん、阿吽の呼吸。

ここは水の城下町熊本市。

朝一番、蒟蒻を練り上げたら、胸の高さまであるステンレス型枠に流し込みます。
ちょうど茶箪笥くらいの大きさのお化け蒟蒻が出来上がります。
それを熟成用に切り分けるのは、私と長年支えてくれている職人達。

一段分約12キロ、刀のような大包丁と型枠で職人が切り、私が専用の板に受け、灰汁層の中へ漬け込みます。

「ハイ,ハイ」と掛け声も高く、切る、受ける、運ぶ。蒟蒻を素早く扱うには、阿吽の呼吸が大事です。

どんなにきつい作業でも
「笑顔で、はつらつ、テンポよく」

蒟蒻づくりは時間との勝負。
少しも気が抜けません。
しかも、かなりの力仕事。

でも、おいしく仕上げるには気持ちを通わせないと清涼でふくよかな蒟蒻になってくれません。

だから、どんなにきつい作業でも「笑顔で、はつらつ、テンポよく」を心がけているのです。

おいしさの産婆役は熊本の水

当社の蒟蒻は、国内産の蒟蒻芋を中心に使っています。

蒟蒻芋を粉に加工する技術は16世紀に常陸の国
(今の茨城県)の中島藤右衛門が発見し、当店でも藤右衛門伝統製法の蒟蒻粉を原料にしています。中でも品質の良い、特級粉にこだわります。

そのおいしさの産婆役は熊本の水です。
70余万人市民の水道水を地下水だけでまかなっている世界でも稀な都市。

約30万年前からの阿蘇の噴火活動によるカルデラ地層が自然のフィルターとなり、清冽な地下水を育みます。
一口含むと喉の奥にスーと入ってくるような健やかな水を、独自の方法でさらに軟らかい水にします。

90%以上が水分でできている蒟蒻はもとより、アク抜きや熟成中もこの清冽な水が不可欠なのです。
機械化の時代ですが、わが子のように手に心を通わせてつくります。

朝いちばん、阿吽の呼吸

「ハイ、ハイ」とかけ声高く息の合った作業が蒟蒻を美しくする

出来たての蒟蒻を灰汁水槽に移す

できたての蒟蒻を灰汁汁槽に移す。持っている一幅で12kg。
1回の蒟蒻づくりで、この作業を90回以上繰り返す。

灰汁の水槽

灰汁の水槽はちょうど家庭用の浴槽ほどの大きさ。
蒟蒻たちは専用の浴槽でゆっくりアク抜きされ熟成を待つ。

蒟蒻のでき具合の確認

蒟蒻のでき具合を確認する。緊張と充実の一瞬。


蒟蒻づくりの要

歴史ある店舗

先代や職人、お客様の歴史の詰まった創業以来変わらぬ建物。

蒟蒻包丁

大きな蒟蒻を板状にカットする、いわば蒟蒻包丁。

木棹棒

今も現役の木棹棒ばかり。近所の「はかり屋さん」の手作り。

板蒟蒻づくり

板蒟蒻づくり。蒟蒻のかたまりを押し出しながらカットする。


歴史ある店舗

創業者・鳥丸八十七

創業者・鳥丸八十七(やそひち)の築いた信頼と熱意を代々継承し、古き良き丹精に磨きをかけつつ精進しています。
(左端 / 鳥丸八十七)


この町で、蒟蒻一筋に生きる

額
壁には西郷隆盛直筆の額や、
万博の賞状などが飾られている。

大正六年に、初代八十七(やそひち)により創業した鳥丸八十七商店。
店舗の太柱や天井の梁は蒟蒻一筋に生きた初代の心意気を今に伝えています。

加藤清正公により奨められた城下町建設以来、店舗のある熊本市中央区細工町は、古町・新町地区と呼ばれ、全体が一辺120mの碁盤の目状になっていて、当時は一つの町に一つの寺が配されていました。


つまり120m毎にお寺があったのです。
時代の流れで廃寺になったものもありますが、今でも25ヶ所の寺が現役で地域の人々を見守っています。

今も残る鍛冶屋町、米屋町、魚屋町、古桶屋町といった町の前は清正公時代名付けられたもの。
昭和期のレトロな建物が町並みに溶け込んで、今でも職人や商人の「(い)らっしゃい!」という威勢のよい声が聞こえてきそうです。